スタッフブログ ~傍楽らぶ~

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Safety first は誰のものか

1894年(明治27年)日本陸軍は来るロシアとの戦争を見据え極寒の冬季訓練を計画し実施した。青森歩兵第5連隊、弘前歩兵31連隊はお互い全く別々に行軍を計画し同時期に決行した。だがそれが結果としてそれぞれの運命を全く違うものとした。5連隊は210名の大編成であった。食糧、燃料を携行した。11泊の予定であった。軍医から凍傷に関して手指の摩擦、足踏、夜間暴風雪の際は凍死の危険を避けるとして睡眠せざる事などが伝えられた。
31連隊は雪国出身者志願者37名で編成された。精鋭部隊だった。食糧、燃料は立ち寄る村々に準備を要請し装備をなるべく少なくした。また案内人の用意も頼んだ。雪山では汗をかかないように工夫すること。足の指を油紙で包み唐辛子をまぶし靴下を3枚履くことなど事前に知識を得て挑んだ。
5連隊は出発日に暴風雪が予想されていたが中止した方がいいという地元民の具申を断り案内人も断った。結果進軍は困難を極め猛吹雪の中初日のうちに遭難が始まった。そして昼夜さまようこと11日目生存者わずか11名を残し全滅に至った。
31連隊は全行程に案内人を立て同じく最悪の天候の中全員無事生還を果たした。あらすじをたどるとこういうことなのだが、この話の本質がどこにあるのかを考えてほしい。
危機は自然そのものではないということだ。これは人災だったと言えるだろう。
周到な準備が必要であったのに計画は最初から誤っていたといえる。
結果非常に高く尊い犠牲を払うことになった。危機管理とは何か。
ぜひこの本をお読みください。
新田 次郎
八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)


さて本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

筆者 OK